こんにちは、だるまんです。
看護大学院受験を志して、受験のために仕事を辞め、睡眠時間を削りながら受験勉強に勤しみ、晴れて合格を得て、期待と不安を抱いて入学したその大学院生活で…予期せず、辞めたいと思う人はいると聞きます。
今回は、大学院を辞める3大理由、そして、そう感じた時に辞めたほうがいい理由、辞めたその後について解説します。
これから進学する人にとっては自分に縁のない話だと思いがちですが、お読みいただき、転ばぬ先の杖にして頂ければと思います。
大学院を辞める理由
大学院を辞めたくなる理由とは、なべて共通していると言えます。
一つ目に勉強が楽しくない・研究が性に合わない、二つ目に教授とのそりが合わない、三つ目に将来性を感じられない・不安である、この3点のどこか1つでも当てはまれば、誰もが「大学院退学」という文字が頭を過り始めると感じています。
それは、至極当然のことで、受験前には知る由もなかったアカデミックという象牙の塔に合格、開かれた扉に進んでみたところで見える新たな景観があるからです。
そこで見る新たな景観とは、必ずしも思惑通り、期待以上の素晴らしい景観であるとも限らず、経た道を戻る選択をする、もしくは博士には進まない選択をする人が、それなりにいることがこの業界の特徴とも言えます。
そこで、来た道を戻るもしくは博士に進まない選択をした方に多い、大学院を辞めた3つの理由について解説をします。
1点目:勉強が楽しくない・性に合わない
大学院は看護研究者を養成する場として研究手法を教わることができますが、その研究作業とは、表に見えるアカデミックの絢爛さとは異なり、いとも地味で野暮ったい日々です。
これを陸上に例えるならば、看護研究とは「長距離マラソン」で、金メダルを獲得できるまで、ペースを変えず地道なコツコツ努力を長期で続けるという自分との闘いで、時にはライバルの出現もあり、非常に孤独な戦いです。
それが孤独な闘いであっても、得られるものが大きければ、その対価としての犠牲は苦にならないものですが、意外と、看護研究者全員の努力が報われるほど容易い社会ではない、厳しい社会です。
そのため、「短距離競争」のように、短期間で看護ケアの結果が目に見えるほうがやりがいを感じる、性にあっていると感じ、進学はしたけれど早めに辞める方、修士卒業後は臨床に戻る方は一定数いるのです。
このように、大学院には、社会の表で見えている部分と、表で見えない部分とのギャップがあることに誰もが気づくものですが、その時に、それをそういうものだと飲み込み、その色に染まっていくのか、それともそこから脱するのかは、自分次第です。
進むを選択するも良し、後退するもよしですが、もし後退すると決めたなら、さっさと辞めて出てくること、1日も早く気づいて辞められたことを大いにラッキーだと思うことです。
進んだ距離が長ければ長いほど、後戻りするにも経てきた道のりが惜しくて、辞められなくなりますので。
2点目:教授とのそりが合わない
大学には、頑迷で保守派な大学とリベラル派な大学があるとは言われますが、看護学が含まれる医学系分野は前者であると言え、その体制気質を引き継いでいる教授はそれなりにいます。
つまり、他に例えれば零細企業のような研究室では、教授が社長でもあり、上司でもあり、師匠でもある、鶴の一声によって物事が決まり、小さな組織ながらに目に見えない派閥もあり、そこで絡む人間関係のもつれもある…
おどすわけではないですが、頑迷で保守派な体制気質を持つ教授の門下生になった場合、教授との折り合いが悪くなることも十分にあり、それに葛藤を覚えて自らその場を後にする方もいれば、そのことを承知のうえで残る方もいます。
要は、時代の変遷に比例しない業界であるからこそ、その業界人になるか否かの自己選択をするに限るということなのです。
もちろん、これはアカデミックに限った話ではないものですが、アカデミック特有のしがらみがあることは暗黙の了解なので、知っておくことです。
それを回避するには、常頃強調してお伝えしているように、教授の社会的人柄をよく見極めて、大学院受験の志望校を決めることです。
教授との円満な人間関係を築けることが大学院卒業後の進路に大きく影響する社会ですので、もしその関係性がうまく行かない、学校へ行くことが苦痛であると感じているなら、ここで思いきって人生の方向転換をすることです。
3点目:将来性を感じられない・不安である
大学教授や研究員を目指して大学院進学する方が大半ですが、その道のりは厳しいです。
その点については、ある程度大学院受験前に覚悟済みで、固い決意のうえでの進学を選択していると思いますが、その未来図である教授らの働き方を実際に目前にしてみると、理想と現実のギャップに気づかされるということは大いにあります。
研究者という道は、社会的名誉や権威ある職業になりますが、助教スタートで教授になるまで、看護学で言うならば、学生の授業、自身の研究、学生の研究、教員としての担当業務、学会発表等など、はたから見ていても休日はほぼ返上ではないかと思うほど目まぐるしい生活を送っています。
それを考えれば、看護師をしていた頃の方が時間的・経済的・精神的余裕は勝っているといえることは明らかなので、どちらが自分にとって望ましいのかどうかをはかる機会が少なからずあるのです。
さらに、看護教員不足であるとはいえ、大学教員のポストによって任期付かつ更新ありなしなどの契約条件があり、自分の満足できるポストにつけるまで渡り鳥のように転職していかねばならない大変さはつきものです。
それでも、それと引き換えに得られる社会的名誉や社会権威、アカデミック社交界もあるので、良し悪しはそれぞれにあると言えます。
人生100年時代、愉しい人生を送るためには、自分が心より楽しいと思える仕事に就くべきで、社会の目を基準にして自分を縛り付ける必要は全くないものです。
人は、物欲が強く、欲したものはすべて手に入れたがる傾向がありますが、手に入れたらそれで満足できるものでもないものです。
時には握ったものを手放すことで新たなものを手に入れられる、手放す勇気も必要です。
大学院を辞めたほうがいい理由
さて、上記の3点のような状況にあるとしたら、大学院を今すぐ辞めることをおすすめします。
大学院卒業をすることに固執して、「ストレスを受けたとしても必死に絶えぬけ!」と言えるほど「院卒」ということに価値を置く必要はないからです。
卒業してみたから言えることですが、大学院を卒業したから、ものすごくお金持ちになったわけでも、社会的評価がものすごく高くなったわけでも、一生幸せな人生が確約されたわけでもなく、単なる資格をひとつ取ったに過ぎないのです。
大学院辞めたら絶望?
いえいぇ、お金と時間と労力を使ったのです、いい経験をしたと思ってそれを武器にすればいいではありませんか。
ハンディを強みにするかしないかは、あなた次第です。
大学院を辞めたら落第者?
いえいぇ、早めに気づいて離脱できたことはツイてる証拠、まだ気づいていない自分に向いている道があるということの示しです。
ポジティブに受け止めるかどうかは、あなた次第です。
辞めたらどうなる?
大学院を辞めたら、教授とは疎遠になり、退学という学歴になる、ということです。
仮に、就活をされる際にその理由について尋ねられる場合もありますが、それなりの理由を鮮明に説明すれば、問われることに恐れる必要はないものです。
要は、会社を辞めるのとほぼ変わりはないということです。
未来とは、今の自分があっての話であり、未来を心配するより今日の自分を憂いすることが優先であると筆者は思います。
大学教員になりたかった、大学院卒の箔を得たかった等、それぞれに辞めることを思いとどまる要因があると思いますが、大事なことは得たいものが手に入らなかったことではなく、入ってみたから、そのことに気づくことができた、アカデミックという場がどういう場なのかを知れたことこそ、大きな収穫であると思います。
挑戦してみたからこそ、得られた経験なのです。
まとめ
今回、このようなお話をしたのは、アカデミック業界を目指す皆さまだからこそ、こういった側面もあるという事実として、事前に知ったうえでの進学であってほしいと思うからです。
知っていて経験することと知らずして経験するのとでは、その打撃の大きさが異なるように、アカデミックにはこのような面があるというコトを知っていれば、すべて大したことではないはずです。
また、アカデミックに体質が合うようであれば、大いにそこで活躍をするべきであり、もしそうではないとしたら、早めに切り変える潔さをもつ勇気を持ってほしいと願います。
それが、幸せな人生を送る人の共通点でもあります。
大学院を辞める決意の核心は「自分の気持ちを大事にする」ということです。
つまり、自分を知ること、これに限ると思います。