こんにちは、だるまんです。
大学院受験先で人気の受験先と言えば、ブランド力があって、認知度が高く、学費が安く、誰もが憧れる国立大学ですが、それだけの理由で志望先にするとしたら…ちょっと待ったです。
国立の大学院とは言え、国立なりのメリットとデメリットはあり、それを把握したうえでご自分にそれが合っているのかどうか、要は、自分が成長できる基盤がそこにあるのかどうか、を見極めなければ、失敗する大学院進学になりかねないからです。
国立大学大学院を出たら必ず人生の良きターニングポイントになると思われがちですが、そうとも限らず、私立大学大学院出身でもその道の第一人者になっている方は大勢いる業界です。
国立という目に見える部分だけではなく、目に見えない細かい部分までも見てほしい、そんな思いで、今回は、国立大学大学院へ進学して失敗する人の特徴についてお話しします。
質問内容
憧れてた第一志望校の国立大学大学院へ進学したのですが…学校生活が合わなくて、すでに落ちこぼれになっており、登校するのがおっくうになってきました。どうしたらよいでしょうか…。
だるまんの回答
塞翁が馬
大学院受験というと、卒業大学のレベルを問わず、正しい方向へ努力を重ねれば、超難関国立大学大学院へ受験して合格することは、誰にとっても可能なことです。
もし、国立という高見を目指して努力して、願うとおりの結果を得られたとしたら、それは何よりのことだと思います。
ところが、その何よりの結果が、後々に何よりの結果ではなかったという本質的なところに気づく人とは、どれほどいるでしょうか。
要は、物事とは、塞翁が馬である、ということなのです。
大学院に問わず、国立と私立の教育方針はかなり異なります。
国立は、新しい教育方法を研究する場、要はモデル校であり、進学を重視した教育ではないため、基本的に放任主義で自ら学習を補っていかねばならない特徴があります。
一方の私立は、学校法人が運営をしているので、その法人ごとの建学精神に則り、独自の教育が行われていますが、基本的には学生の面倒を丁寧に見る、語弊を恐れずに言うならば、良い意味での干渉主義での教育が行われています。
よって、国立は干渉を望まず、自主的に物ごとに取り組んでいきたい学生、私立は丁寧な指導のもと物ごとに取り組んでいきたい学生という違いがあると、筆者は感じています。
この特徴は、大学院に進めば、より濃度が濃くなるものです。
そのため、この特徴を知らずして志望校を決めてしまっては、大学院進学の2年間は愉しいものではなく苦痛の時間を作るきっかけになってしまう、ということなのです。
国立で成功者は一握り
実際に、東大や京大のように超難関国立大学に進学したとしても、その生活を順調に過ごせる人というのは、一握りであると感じています。
それは、国立大学という特性が自分に合わずに進学をしているからだと、思います。
冒頭でお話しした通り、国立大学は基本的に放任主義であり、大学院ではその色はより濃くなります。
もちろん、大学院へ進学しようとする方の大半は向上心のある方なので、だれもが自主的に物事を取り組んでいける方だと思いますが、それでも、「研究をする」ことについては、素人の方がほとんどです。
進学後から放任主義だと、最初から何をしたらいいのかわらかない、気づいたら取り残されている、あわよくば、その姿勢が怠慢に見え、知らず知らず、教授との距離感がうまれ、人間関係がまずくなっていく…
すると大学院の生活がだんだん苦痛になり、孤立していく…
これは、他人事に聞こえるかもしれませんが、誰もが背中合わせの話でもあるのです。
なので、
「放任主義が合わない人は、国立へ進学しない方がいい」
です。
意気込みや熱意だけで、国立を受験校に選ぶのではなく、国立の教育方針をよく理解したうえで、自分がその教育方針につぶされないのかどうか、よく検討されることです。
かえって私立大学院に進学したほうがのびのびと、持ち前の良さが発揮されて国立進学者よりも高い成果を得られることも大いにあります。
まとめ
以上、「国立大学大学院へ進学して失敗する人の特徴」でした。
憧れから国立大学を志望校に選択をするのは、とてもリスクの大きいことです。
社会の目線で物事を決めるのではなく、自分はどのような教育を受けることで、成長できるタイプなのかをまずは知ることです。
褒められて育つタイプなのか、それとも怒られて頑張るタイプなのか、放任された方がやる気が出るタイプなのか…
まずはご自分の育て方を分析してみましょう。