こんにちは、だるまんです。
環境と努力さえ伴えば、職業選択肢の多い、豊かな時代です。
さながら、果たして、自分は何に向いているのかわからない、やりたい仕事が見つからない…という人が結構います。
そればかりか、やりたいことを見つけて前進していく人をうらやましく思うがうえに、目標を見つけて大学院に進学する人のことは尚更、うらやましいと言う声を度々聞きます。
それなら、その人たちに倣って大学院へ進学すれば、今に見えない、何かが見えて、やりたいことが見つかるのでしょうか?
今回は、人生やりたいことがみつからないとしたら、大学院へいけばやりたいことが見つかるのか、についてお話ししたいと思います。
質問内容
お恥ずかしい話ですが、この歳になっても、人生やりたいことが見つかっていません。これといって趣味もなければ、没頭するほど好きなこともなく、やってみたいと思う仕事もありません。大学院へ行く友達を見て、自分の方向性を見つけて進んでいく姿がうらやましいです。私も大学院へ行けば、何か、生きがいというか、やりたいと思えることが見つかるでしょうか?
だるまんの回答
やりたいことがないのは罪?
「やりたいことが見つからない」、「やりたい仕事がない」、と話せば…
「やりたいことを見つけるための対処法」とか「やりたいことをみつけるためにまずはやるべきこと」など、まるで、「やりたいことがないのは罪」といわんばかりのアドバイスをされるものです。
なぜ、やりたいことを見つけなくてはならないのでしょうか?
やりたいことがないことは、いけないことなのでしょうか?
やりたいことはなくていい
個人的な意見ですが、「やりたいことがなくて当然」であり、「やりたいことはないほうがいい」と思います。
もちろん、やりたいことがあるならそれもよしですが、
やりたいことがないから、範囲を狭めることなく、様々なことに挑戦することができます。
こだわりもないから、感情を入れず淡白に取り組め、かえって物事が長続きすることもあります。
やりことがある人生がよしとも言えず、やりたいことがない生き方もそう悪くない、と言えます。
こうでなくてはいけないという基準は世の中どこにもなく、こうでもいいし、ああでもいいのです。
だけど、人は社会の基準が自分の基準となり、他人の生き方に惑わされている人は大勢いる気がします。
だから、やりたいことはないほうがいい、一生なくても悪くないです。
大学院にはいかない方がいい
やりたいことというのは、自ら見つけるものではなく、小さな努力を継続していれば、自然と歩んでくるものだと、考えています。
やりたいと思っていても縁がなければその道が開かれるわけでもなく、開かれたとしても長く続くわけでもない。
一方で、自分ではそれほど関心のなかった事柄でも、続けているいるうちにどんどん道が広がっていき、いつしか、自分が輝いていることも大いにある。
自分で自分を持ちあげて輝こうとするのではなく、自分がやるべきことをやっていれば、結果として輝くと言うことです。
だから、自ら輝こうと努力するのではなく、今、目先に与えられた課題、やるべきことを着実に誠実にこなしていけば、自然と道は開いていくと感じています。
その道がたまたま大学院進学になるのなら、進んでみる価値は大いにありますが、
やりたいことを見つけに行くがための大学院なら、行かない方がいい、と思います。
なぜなら、大学院は、”やりたいことを見つけに行く場”ではないからです。
大学院は自らを自ら成長させていかねばならない場であるからこそ、自ら進むべき道が明確になければ、いとも簡単に迷子になりやすい世界であると言えます。
仮に、目的なしに進学をすれば、確実に迷子になるでしょう。
だからといって、だれも迷子になったあなたを探しだしてくれるわけでも、正しい道へ引導してくれるわけでもない、迷子になろうが、どこへ行こうが自由、それが大学院なのです。
要は、やりたいことを見つけようと、特別なことはしなくていい、と言いうことです。
人と比較せずに、1日1日、一瞬一瞬、一生懸命生きることです。
努力、結果は後からついてきます。
結果だけ求める人物にはならないように…なぜならそれは虚像だから。
まとめ
以上、「人生やりたいことがみつからないとしたら、大学院へいけばやりたいことが見つかるのか」でした。
人は、自分の人生に意味を付与したがり、やりたい事柄を見つけて、生きる目的を探そうとしますが…
人の人生はそれぞれ。
同じものはなし。
社会の基準を自分の基準にしないで、人の生き方に左右されず、生きることです。
縁とは、探すものではなく、向こうから自然に歩んでくるものだと言うことを忘れずに…