【お悩み相談#115】旧帝大院卒の人に「大学院受験校は大学名で選んではいけない」と言われた、なぜ?【大学院受験】

お悩み相談

こんにちは、だるまんです。

大学院受験校を決める際に、社会的な知名度やブランド力から大学名を選んではいけないという話があります。

それも旧帝大院卒の人からそう言われたら、説得力があるようでないようで…本音なのか建て前なのか、わけわからなくなるものです。

そういう張本人は旧帝大院を卒業しながら、なぜ、そのようなことを言うのでしょうか?

今回は、旧帝大院卒の人が「大学院を大学名で選んではいけない」と言う理由について解説します。

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質問内容

相談者
相談者

知り合いに旧帝大院卒の方がいるのですが、受験校は大学名で選んではいけないと言われました。とはいえ、ご本人は旧帝大院卒なのに、なんというか、本音なのかそうではないのか、意味不明でした。その方の話に真意はありますか?

だるまんの回答

一般常識が通用しない大学院受験

大学院に限らずの話ですが、受験校選びをするとなれば、偏差値が高く社会的認知度の高い学校、人気のある学校、ブランド力のある学校から選ぶことのほうが多いと思います。

それは、学校卒業後の進学先が良い、就職活動に有利である、先生のレベルが高くて質の良い教育を受けられる、出会う同門生の格が上がる等など、その後の人生を左右する学歴だからこその選び方です。

確かにその通りで、日本は目に見えて学歴社会、目に見えずして学閥社会なので、その考え方には共感する部分が多いものです。

が、その一般常識的な感覚が、大学院受験においては通用しないということを知らない人の方が多く、大学名だけで学校選びをしたことで、ことごとく大学院進学が失敗になることは、大いにあります。

そのため、相談者さんに助言をしてくれた知人の話というのは、的を得た真意ある話であると言えます。

なぜなのでしょうか?

旧帝大院卒者だから得られる悟り

大学院受験校を探す際にも、一般的な価値観から学校選びをする方が大半です。

特に大学院は、学士なしでも受験できる制度があったり、卒業大学のレベル関係なく偏差値の高い大学の大学院を受験できる、要は扉は幅広く開かれている世界であるため、誰もが一度は旧帝大への進学を検討されていると思います。

そして、実際に、旧帝大の受験者数は他大学院に比べると圧倒的に多いので、社会的基準での志望校決めをしている可能性はかなり高いと言えます。

このようにして、旧帝大を第1志望校にして、晴れて旧帝大の院生になった方は実に多いものですが、その後の歩みについて、注目されたことはありますか?

意外と、華やかに見える院生の裏には、研究室の雰囲気が合わないと悩んでいる方、将来性が不安になり途中で方向転換をされる方、卒業できずに留年をしている方等など、思いもよらずの壁に当たる学生もいるものです。

それが旧帝大には特に多いと感じます。

なぜならば、社会の基準で大学院を選んでしまったからです。

社会の目線で選んではいけない理由

ここで社会の基準で大学院を選んではいけない理由2点についてお話しします。

1.大学院は個別教育

私見になりますが、社会の基準で進学先を選んでいいのは、集団教育を受ける大学までです。

一方の大学院とは、意外と集団教育ではない、実質的には教授とマンツーマンでの研究指導を受けることが多いので、個別教育のカラーが強い学び舎になります。

そのため、大学名の知名度云々よりも、その教授と自分が如何に二人三脚で論文をしあげていけるのかどうか、「教授との相性」というものが、物を語ります。

ところが、教授の社会的人柄を見ずして単に大学名だけで進学した場合に、教授との関わりを通して葛藤を覚え、大学院生活そのものが嫌になってしまうと言う話は、度々聞くものです。

そのため、大学名で選ぶのではなく、その教授が師として仰げる方なのかどうか、私を育ててくれる方であるかどうか、という視点が大学院受験校選びでは欠かせないのです。

ぜひ、「学校名選び」ではなく、「教授選び」という観点を持ってください。

2.国立は放任主義

そして、何より、旧帝大の特徴は、基本的にいい意味で「放任主義」です。

そのため、研究の進度について、基本的に教授はさほど干渉はしてこない、自ら教授に指導を仰いで行ける自己管理力、自ら育つことが出来る人にこそ、国立大学の教育は居心地の良いものですが、

そうではなく、しっかり基礎から教わりたい、手厚い指導をしてほしい、関心を持って関わってほしいという学生には体質的に合う確率は低いと思います。

よって、旧帝大の環境が自分に合うものかどうか、旧帝大以前に、自分が大いに成長できる環境がそこに整えられているのかどうか、という視点で検討することが必須だと言えます。

まとめ

以上、「旧帝大の人が大学院を大学名で選んではいけないと言う理由」でした。

相談者さんに助言をしてくれた方は、旧帝大に入ってみて実感したことを率直に話してくれたのだと察します。

今回、お伝えしたように、大学院受験校選びは、「学校名選び」ではなくて「教授選び」であるということを念頭において頂き、大学院進学が人生の良きターニングポイントになれる学び舎に進まれますように。

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