【人生の雨宿り#012】おひとりさまでずっと生きるのと結婚生活を営むの、どっちが寂しい?

人生の雨宿り

こんにちは、人間関係研究所「人生の雨宿り」のだる美です。

一般的に、結婚をして家庭を築くという生き方が幸せな生き方、と言う社会の認識があります。

ところが、結婚生活の実態を知れば、これからの時代はおひとりさまを選択して生きていくのも悪くはない、いや、そちらのほうが幸せなのではないか、という話もちらほら聞こえてきます。

一生一人で生きていくのは寂しいという方も中にはいますが、人間は生まれた時から死ぬまで寂しいもの、だれかがいたら寂しくないわけでも、誰かがいなかったら寂しいわけでもない、ものです。

社会の基準ではなく、自分が最も幸せである生き方とは、どのような生き方なのでしょうか。

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相談者の質問

相談者
相談者

42歳、独身の研究員です。大学進学で上京し、大学院博士課程まで生活苦でしたが、今は収入も安定し、それなりの社会的地位も得て、ちょっとした趣味生活もできるほど、充実した社会人生活を送っています。親から言われることはないですが、30代になったころから周りが結婚をし始めて、幸せそうな様子を聞くとうらやましく感じ…37歳から婚活を始めました。毎週のようにお見合いやデートを重ねていますが、自分の条件に合う女性に出会えていません。相手の条件を高くしているつもりはないですが、だからといって誰でもいいワケでもなく、自分と同じくらいのキャリアや経験を持って意思疎通ができる方を探しています。ずっとひとりもので寂しいですし、このままひとりぼっちで老いていくのか、死ぬ時は孤独死になるではないか、と思うと不安になります。どうしたら結婚できますか。

だる美の見解

年頃になれば、結婚をすることが当たり前のような時代がありました。

当時は、男性にとっては、社会的地位を得るための術として、女性にとっては、衣食住を得るための術として、結婚という選択が避けられない、否応せずのことでした。

しかしながら、「生きるための結婚」という時代は終焉を迎え、

今は、男性も女性も対等、誰かに依存せずとも、一人で十分自立して生きていける時代、それが認められる社会となり、結婚だけではない幸せの形、シングルファザー・マザー、事実婚、同性婚、未婚等、生き方が多様化していると言えます。

とはいっても、相談者さんのように、結婚をしたいのに結婚したいと思える方となかなか巡り合えないという方は、男女問わず意外と多いもので、

自ら選択せずして結婚をしないのであればまだしも、
結婚をしたいのに結婚が叶わないのであれば、きっと、精神的なストレスを抱えることだと察します。

ですが、ここで、ひとつ気になることがあります。

「相談者さんは、なぜ結婚をされたいのでしょうか?」

相談者さんは、一人だと寂しい、孤独死を避けたい、ということから察するに、家族になることで得られるであろう幸福感や安心感、情という目に見えないものが結婚生活について来るものだと思われているようですが、

結婚をすればそれらを自動的に得られるわけではなく、それなりの努力は底知れぬです。

例えば、

朝は早起きしてモーニングを準備してくれる腕のいい執事になり、買い物に出掛ければポーターで、一緒に歩く時はサマになるかっこいい彼氏で、帰宅後は一杯飲みながら会社のことをグチれる親友で、悩みがある時は頼りがいあるお父さんのようで、土日はいろんなところに連れて行ってくれるドライバーで、夜は野獣のようにセクシーな男性で…

一生演出していくことができれば、結婚生活は円満に行くことができるものです。

これが「結婚生活」に求められる基本的な条件です。

要は、仕事があって、お金があれば、結婚そのものはできるかもしれませんが、結婚生活を円満に維持していくこと自体にはつながらず、それ以上に日々の努力が欠かせない、これが結婚の難しさだと言えます。

一方で、相談者さんご自身も結婚に対する期待感があるだけに、妻に対して、

朝は優しいお母さんのようで、外出して一緒に歩く時にはサマになる素敵な女性で、たまには愛くるしいおちゃめな少女で、時には笑わせてくれる親友で、落ち込んだ時は勇気づけてくれる肝っ玉母さんで、ある時は対等にディスカッションできる同僚のようで、夜は小悪魔のようなセクシーな女性…

無意識に求めるはずですが、実際の生活は相反するもの。

これが「結婚生活の本質」です。

これが一つでも守られなければ、相手を疑う余地にもなり、信頼関係はいとも簡単に崩れ落ち、煩悩との付き合いが始まります。

結婚生活とは、まずは相手に合わせて生きることができるのが当たり前です。

これを世間では「結婚は出家」だといわれているようで、いわば、修行生活とも言えるのではないでしょうか。

ですが、このような「結婚生活の本質」というのを知らずに、

恋愛感覚が結婚生活にそのまま維持されるものだと勘違いしたまま、表面上だけの結婚を見て足を踏み入れたがゆえに、自らが起こした事柄に煩悩し、ストレスを抱えながらも、そこから離脱できずに、生きている人は、世の中大勢いるものです。

結婚とは、いまや人生の選択のひとつですが、向き不向きがあります。

自分が求めるものを得ようとして、結果的に自分で自分を傷つける原因を作るようであれば、いまのまま、独身で気楽に生きるほうが幸せ、かもしれません。

周りと比較してうらやましいというのは、結婚の本質が見えていないからです。

既婚者からすれば、独身の相談者さんの方が実はうらやましい、とも言えます。

それに、人間は誰もがさみしい生き物です。

一人がさみしいという方もいますが、誰かと一緒の空間にいたとしても心が通じ得ない、意思疎通できなければ、一人でいるよりも何十倍に寂しさを感じるもの、結婚したらより孤独感を感じると言う話はよく聞くものです。

ですが、そのさみしさを何かで埋めようと、それが異性だとしたら、そこにはより大きな代償を払うことになるリスクがあることを、より大きな寂しさを得ることになることを悟ることです。

さみしいと思った時は、そのさみしさに付き合えばいい、それを必死に埋めようとしないことです。

そして、リスクの多い時代だからこそ、自らリスクを作らない、身を軽くして生きること、これこれからの時代に生きる賢い生き方、とも言えます。

もちろん、異性と出会うことも悪くはない、ただし、結婚をしたいのであれば、もっと条件を下げて、相手への期待値をうんと下げることです。

例えば、「僕のことを好きになってくれる女性なら、誰でもOK!」、このぐらいの許容範囲をもてば結婚はできるものでが、それでも結婚をするべきなのか、それとも、今の気軽な暮らしを続けていくほうが幸せなのか、天秤してみることです。

人はすべてを手に入れることが出来ないもので、何かを得るためには自分が持っている何かを差し出さなければならなくなるもの。

今、自分に与えられた生活に欲張らず、ねだらず、日々に感謝をして生きることです。

ご縁があれば、勝手に向こうから歩いてきます。

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