こんにちは、だるまんです。
大学院進学が自分の意志によるものなら何よりですが、親や親以外の家族から大学院へ行けと言われ、どうしようと思っている方もまれにいると聞きます。
今回は、その時にどのように物事を捉えて、物事を解決するべきか、ヒントになれる話をします。
大学院へ行きたくない方へ
目に見えないプレッシャー
大学院進学へ夢を抱き、進学する方も入れば、実はそうでもない、誰かに言われて進学したという方も中にはいます。
例えば、親や親以外の家族から、家柄の社会的ステータスに合わせてほしい、家族の学歴をあげてほしい、世間体を気にしてほしい等など、直接言われることもあれば、そのようなニュアンスを醸し出されることもあり、受けた側としては、どちらにしてもプレッシャーです。
大学院へ行けと言われるけれど、それほど勉強に興味はない、進学するための受験を想像するだけでも頭が疲れる…そんな話、無視し続けてみようか…
そうは思ってみるものの、目の色を見て、だんだんぎくしゃくしてくる家族との関係性に、無視し続けるのにも限界を感じて、しぶしぶ、大学院進学の準備を始めるようです。
でも、これでは、誰のための大学院進学でしょうか。
大学院進学しなくていい
大学院へ行きたくないなら、行かないべきです。
親が?夫が?夫の親が…って?誰の人生を生きているのですか。
嫌なことに2年も3年も投資するのは、労力のムダ、時間のムダ、お金のムダです。
誰かに言われて何かをすることほど苦痛なことはない、誰かに言われてする、その学び、なんの血肉にもならないです。
そこは、自分の芯を通すことです。
大学院生活は愉しくない
大学院進学の道とは、それほど生ぬるくない道です。
大学院生という派手に見える肩書の裏では、課題が多くて眠たいのに眠れない、勉強が理解できなくて歯がゆい、調べものが多くて時間がない、英語力がついていけず情けなくなる等など、院生なりの多忙さと勉学の奥深さがあり、この学校生活が合わなければ、愉しくもない、苦痛そのものです。
それを覚悟して足を踏み入れるのとそうではないのとでは、在学期間中の成長痛は大きく異なることと思います。
まとめ
人生には、進学、就職、転職、結婚、出産等など、さまざまな節目が訪れ、それに選択が伴います。
その選択の基準は、「私が好きか嫌いか」で人は判断しがちですが、正しくは、「私にできる能力があるかないか」、自分の素質素養があるのかどうかで、判断をするべきだと思います。
「結婚したい、したくない」ではなく、「結婚に能力があるのか、ないのか」
「転職したい、したくない」ではなく、「その仕事に能力があるのか、ないのか」
「出産したい、したくない」ではなく、「子育に能力があるのか、ないのか」…
あなたは、大学院生活に能力があるのか、ないのか…
自分を主観的ではなく、客観的に見つめてみることです。
答えはあたなにあります。